かんがえるにわとり

形になれば、いいなあ

でざいん

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とっても興味深い記事を見つけたからちょっと考えてみようかと。

個人的に思う「よいデザイン」っていうのは「手にとってすんなり理解ができる」かな?ここには外観も機能も全部含まれる。

というのは、「プロダクトデザイン」・・・「インダストリアルデザイン」というのは必ず「人が使う」という大前提が存在する。そしてこの「人」と言うのがまた厄介で、一人ではない上に年齢や性格、性別、身体能力や人種に至るまでデザイナーやメーカーが思慮を巡らせることが出来ない広さがある。

そうなるとデザインというのは、ことプロダクトデザインにおいてはいわゆる「平均」にある人、あるいは「立場が弱い人」を中心として設計が進む。つまり「ユニバーサルデザイン」みたいな信念がハードルとして存在するわけで、メーカーやデザイナーとしてはとっても頭が痛い存在である。

「プロダクトデザイン」ってのは「見た目」を作ることではなく、「製品をトータルで設計する」ことであるということに留意してほしい。言ってしまえば「かっこよかったり洗練されてるからと言って"良いデザイン"とは限らない」。

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特に日本は基本的には保守的な人種なので大きく変えるというアクションに対しては非常に慎重。確かにそういう点では工業デザインは日本においては日の浅い分野なので諸外国に遅れを取ってるのは事実。

けど逆を返せば、それまで存在しているデザインを飽くなきブラッシュアップによって昇華させていくというのがとても強みだと思う。外から入ってきたものを自分たちでどんどん進化させていくのは日本の面白いところ。となれば、ユーザーの声を聞き入れてデザインをすることはすげー得意なのだ。多少野暮なデザインでも老若男女が使い方をきちんと理解できるというのは実はとってもすごい。

ユニバーサルデザインとか、ユーザーエクスペリエンスデザインとか、ヒューマンセンタードデザインとか、インクルーシブデザインとか、スペキュラティブデザインとかなんだかんだと舌を噛みそうなカタカナ用語なんてのも最終的にはそういうところに収束していく。

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・・・とは言え、かっこいいデザインにして使う人が負傷したり損害を被る事は絶対にあってはならない。

ご老人がオートマチック車に乗った時のことを例にすればわかりやすいと思うけど、フェイルセーフやフールプルーフと言った観念と言うのはデザイン(特にスタイリング)にガンガン干渉してくる。きちんと制御ができていた部分を「ダサい」からという理由で「洗練」させたことで事故が起こってはユーザーは購買しないし、メーカーも補填や売上低下でいいことは何一つ無い。

日本の場合、特に購買層を設けないデザインは基本的に老人が油断しないデザインになる傾向が強い。それは認識力であったり運動能力であったり、あるいは時代から受けた常識であったり。だからこそ若干野暮ったいデザインになるんじゃないかなと。

また、プロダクトデザインで言えば日本の家電メーカーはアイデアを優先させる。とにかく他にはない面白い機能や使い方を求める。これはライバルのメーカーに少しでも差をつけるためであり、美意識なんてのはどうしても二番煎じになりやすい。けどアイデアワーク出来なきゃ家電メーカーにデザイナーとして就職できないんですよ。アメリカとか諸外国がどういう基準でデザインを行うかまでは理解が及んでないのだけど、日本にはアメリカで言うIDEOやイタリアで言うカロッツェリアのような比較的規模の大きい外部プロダクトデザイン団体もあるにはあるが数は多くない。

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さて、こうしたプロダクトデザインのお話をするのであればやはりどうしても「カースタイリング」についても少し考えてみたい。

フェラーリ・エンツォをデザインした奥山清行氏や、アウディでチーフデザイナーを務めデザインアイコンで流行を作った和田智氏といった海外で活躍するデザイナーもいれば、昨今のマツダのように世界の最先端を行くデザインを生み出すデザイナーも居る。あるいはトヨタのように少しでも車を面白く魅せることに昼夜頭を捻るデザイナーも居る。無論海外からのデザイナーも居るけど大部分は日本人。

そういう点でカースタイリング・カーデザインというのは常に先端的デザインを求め作り、ユーザーの意見を取り入れつつ取捨選択し、なおかつ自分たちのデザインにプライドを持っているので美的感覚も強い。その中で戦うために教育機関でもカーデザイン専攻はとにかく様々なものを見て、とにかくアウトプットして競う。こうして育った人から中には家電デザインに向かう人もいる。

つい30年、40年前まで日本メーカーは自動車のデザインをピニンファリーナや海外のデザイナーに発注することもあったけど、今はどのメーカーもデザイン室を持っていて、海外メーカーとも渡り合える製品(プロダクト)を生み出している。

 

・・・そう、決して教育が冷めてるワケじゃないのだ。ただ残念なことにおとなり中国や韓国はもっと進んでる。個人的にはもう少し歩みを緩めても損はしないでしょって言うくらい彼らは未来をデザインし続けている。ユーザーが追いつけるかどうかはさておき。

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プロダクトデザインは僕らが考える以上に様々な制約によって縛られている。それは国が違えば手法も違うように、日本の製品デザインが野暮ったいのはある意味仕方のないことなのだけど、いざ自分がデザインする立場になって見ればボタンの位置や構造一つとってもきっちり設計されているんだと頭を打たれる。

だからこそ、最初に戻るけど「手にとってすんなり理解できる」というのが大事な指標になってくる。美意識も大事だけど使えないんじゃプロダクトとしては成立しない。その見極めが出来てこそ、「製品のデザイン」というのは光輝いてくるのかなと。

(まぁ何が面倒ってこれ人によって基準が違うわけで、すっげー難しい話なんすね。世代が入れ替わって、多感な時期に無限の情報と戯れている今の世代がデザイン文化を引っ張れるようになるまではまだまだ"日本だな"ってデザインがあふれるのは仕方がない。製品デザインは常に「平均層」(もしくは多くの「立場の弱い人」)を重視して設計されるものなので、その平均が動くまではどうしようもないのである。一方でインクルーシブデザインのように、多くのユーザーと相対して必要な情報の取捨選択を行うこともまた重要ではある。)