かんがえるにわとり

形になれば、いいなあ

こくどう

酷道へ行きたいんだけど行きたい人いる?」

というTwitterの知人の一声にすぼっと吸い込まれてしまった。

翌日たどり着いた道は、その筋では有名な「最初からクライマックス」の在りし日の道だった。

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国道418号線 岐阜県恵那市ー岐阜県加茂郡八百津町間(元岐阜県道日吉八百津線)

 

木曽川を沿って西岸に作られたこの道は、上下流のダムによって挟まれた道。

もとは集落も存在し、道中には茶屋もあったことから一定水準の生活レベルを持っていたようだ。

今回は丸山ダム側からアプローチを試みた。

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僕も車が好きな人間であり、車とは切っても切れない道の存在もまた好きだ。

今使われている道もそうだが、もちろんすでに使われなくなった廃道も好きだ。

そんなわけで知人の声に乗って同乗させてもらったわけだが、想像をはるかに超える「酷道」だった・・・。

 

おそらく十数年、二十数年前までは人が暮らしていたんだろうか、と思えるスペースの先に車を止め、そこからひとまず行ける範囲までを徒歩散策をする。

車より恵那側への最初のキロポスト。7.006という微妙な数字が気になりつつも、まずは前へ。

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集落へ至る道だろうか、石垣で道らしきものが作られていた。

つづら折れに組まれた石垣がいつ出来たものかは定かではない。

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道は数年前に一度手入れされ、掃除されたようだが、秋とは言えそれでも藪が茂る。

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少し進むと先ほどと同じような石垣が再び現れた。ちょうど登れそうだったので少しおじゃますることに。杉が成長しているが、足元を確認するに、徒歩道としての路盤はしっかりしており、やはり集落へ向かう道ではないだろうか。

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丸山ダムによって半分湖となっている木曽川へ流れ込む沢を渡りながら、石橋を確認。

「米澤橋」とあり、昭和28年竣工のようだ。実に60年以上前のものである。

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この沢を仮に米澤沢として、恵那側には林業従事者が作業していたような積み上げられた丸太と、ゲームもしくはお話の中で見るような沢が米澤沢にはあった。

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米澤橋の少し先に6km地点キロポストがあり、ここに418号と書かれた板が割れて剥がれ落ちた状態で転がっていた。そこから更に歩くと「二股隧道」というトンネルが現れる。目測の全長は400m。竣工は昭和31年。元は県道日吉八百津線として建造されたもののようだ。恵那側出口前でカーブしており中はブラックアウト。恵那側出口寄りに離合スペースがあり、いきなり筒内拡張するため、一瞬声の聞こえ方に違和感を覚えた。

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しかしこのトンネル暗いというか暗闇である。1人+ケータイのライトでは絶対通りたくない。この隧道を抜けると道はいよいよ酷くなる。二股トンネルから少し歩いた先に大崩落を修繕した部分がある。そもそも沢の位置と崩落位置が合致しやすい川辺岸壁の道において崩落はいつ起きてもおかしくない隣り合わせのイベントである。

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崩落を眺めつつ先へ進むとまたも石橋に遭遇。名前を「宮ヶ谷橋」という。

竣工は昭和28年であることから、この道はやはり昭和28年付近で開通したことになる。ところで二股トンネルの崖側を除くと迂回路のようなものがある。おそらく通行不能だろうが、これは開通当時の旧旧道だろう。

宮ヶ谷橋の八百津側の沢辺りに地籍調査のポストがあり、ここ一体が大字で地主が居る(もしくは居た)ことになるのだろうか。

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ここからはひたすら次の面白そうなポイントまで時間が許す限り歩いて行く方向で散策をしていたが、視界の行く先に消えていく犬のような動物を見つけ。すこし焦った。

もちろんここは携帯の電波(KDDIの電話すら)届かない山の中であり、人の気配も消えて久しい自然。大事を取りその場で引き返すことに。

 

この道は全般的に舗装が剥がされ、自然に返すよう処理がされている。これは下流の丸山ダムが増築され新丸山ダムとなり、それにともなって水位が上昇し、この一体が水没するからだ。すでに国道418号線は付け替えが完了し、高規格道路が敷設されて快適に通ることができる。水面高200mに存在する橋も旧道の橋に肖った名前をつけている。

「国道418号」は世代を受け継ぐほどの道であることがわかることから、この近辺にとっては重要な主要幹線道路であることが伺える。

 

二股トンネルを抜けた先で起こっていた大崩落は平成9年にその修繕を終え、バイパスの完成とともにその一線を引退し、完成するダムと迫り来る水位を息静かに待ち構えているかのような、そんな道だった。幅員狭小、路肩虚弱な道ながら、県道から国道へ昇格したその余裕だろうか。悠々と水をたたえる木曾川のダム湖を眺めながら、この道は確かに国道として生きていた。

 

この後二股トンネルを抜け車のポイントまで帰還。県道分岐から県道353号線(これもまた大概な険道だった)を抜け、八百津町をグルッと回り、十日神楽集落から町道へ入り、町道分岐側へ。恵那側には重厚なゲートが設置され、これより先へは行けないようになっていた。一方八百津側は特にゲートもなくそのまま進めそうであったが、時間がすでに15時を回っていたことを考慮し、この日は撤収。初めての廃道探索にして致命的なダメージを受けたような、そんな散策だった。

(町道分岐側にも地籍調査標が埋められており、どうやらこの国道内で幾つか集落の境界面が存在するようである。)

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余談だが、最初の7キロポストの画像は帰りに撮った写真である。行きでは埋まっていたために特に触れずに先へ進んだが、米澤橋のキロポストをみて、この7キロポストも元は倒立していたのではないかと考えた。そこで持ち上げてみたところ微かに動いたため、少々あれこれしてみたが、基礎から巻き込まれて倒れているのか起き上がらなかったので、左右に動かして出来た隙間から418号の盤面を掘り出したものである。おそらく徒歩もしくは自転車出ないと気づかなかったのではないだろうか・・・

 

---以下その他の写真

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***謝辞***

お誘いに対して快く同乗させていただいたろっとさん(@Lot_208GTi)さん、誠にありがとうございました。 またどこか酷道探訪の目処が立った時にはぜひご一緒させてください。今回と同様にレポートをまとめます!